ケネディ 2012 9 17

 1962年アメリカは、ソ連がキューバにミサイル基地を建設し、
ソ連製の兵器の搬入を秘かに進めていることを確認した。
 ケネディ政権は、海上封鎖を実行してミサイル搬入を阻止し、
キューバからのミサイル攻撃に対して、
ソ連に報復するという強硬手段に訴えて、
ソ連の譲歩を引き出そうとした。
 ここに世界は、アメリカ・ソ連の直接衝突による、
核戦争の恐怖にさらされた。
(詳説世界史研究 山川出版)
 ケネディ大統領は、核戦争を覚悟したと思います。
それでも、自由主義陣営の旗を降ろして、
ソ連の軍門に下ることはなかったのです。
 それこそ、核戦争の寸前まで行ったのですから、
ケネディ大統領には自由主義陣営の旗を降ろすという選択肢はあったはずです。
ソ連の核ミサイルがアメリカに大量に降り注ぐ事態が、十分あり得たからです。
 現代において、これほど勇気と決断力がある政治家はいないでしょう。
自由主義陣営の勝利が確定するのは、キューバ危機の数十年後でした。

サッチャーの英語 2010 8 1
 サッチャー元首相の演説は、
ゆっくりと力強く、わかりやすいのが特徴です。
 一語一語、明解な発音で、
ヒアリングが苦手な日本人にも聞き取りやすい英語です。
 サッチャー講演録 「回顧録」出版記念
 「わが闘いの10年」 1993年11月26日、日経ホールにて
 当時の資料には、こうあります(日本経済新聞社)。
「冷戦から、東西ドイツの統合、共産主義の崩壊、そして湾岸戦争。
常に自由主義陣営の先陣に立って戦い続けてきたサッチャー」
 残念ながら、現在、サッチャーのような政治家はいません。
サッチャーは、自由のために戦った「最後の政治家」と言えるでしょう。
英国史だけでなく、世界史にも残る政治家となるでしょう。

















































































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